■ 漆匠・佐野長寛の実像に迫る100年ぶりの展覧会
MIHO MUSEUM(所在地:滋賀県甲賀市信楽町田代桃谷300、館長:熊倉功夫)は、2025年(令和7年)7月12日(土)~8月24日(日)までの期間、夏季特別展「伝説の漆匠 佐野長寛ー奇想と風雅の世界」を開催いたします。
幕末の京都漆芸界に新風を吹き込んだ伝説の漆工・佐野長寛。大正14年(1925)の遺作展以来100年ぶりの展覧会です。100年前に展示された作品も含めた162件を展観します。諸国を歴遊して学んだ技法を京風に洗練させた長寛の創意あふれる作品をお楽しみください。

佐野長寛像(部分) 西村宗三郎筆 安政3年(1856)個人蔵
画像提供:京都国立博物館
■ 開催主旨
佐野長寛は江戸時代後期の漆工で、寛政6年(1794) 京都の塗師・長濱屋治兵衛の次男として生まれました。幼くして父から漆芸を学び、高雅な作品を作るため詩歌の師を求め、儒者・数寄者を訪ねて教えを請い、七代中村宗哲など市中の漆工も訪ね熱心に学びました。
文化11年(1814)21歳で家名を継ぎますが、翌年から諸国歴遊の旅に出て紀州、吉野を始め諸国の漆器産地を歴訪しその技術を会得します。文政5年(1822)に帰京して開業すると、彼の作品はすぐに評判となり高麗の名工・張寛の再来と賞されます。彼は謙遜して「張」の弓偏を取って「長寛」と号しますが、腕には自負があり自らを「漆匠」と称しました。また、無欲で弊衣蓬髪を恥じず、常に斬新な創意を試みたと言われています。その奇抜な発想と風雅を好む作風は、幕末の京都漆芸界に新風を吹き込み大きなインパクトを与えました。安政3年(1856)63歳で歿しています。
大正14年(1925)2月、有志による長寛70回忌の法要が京都・浄宗寺で営まれ、
4月には京都・妙法院で追善の供養と共に、恩賜京都博物館(現京都国立博物館)において彼の遺作展が行われました。本年はそれからちょうど100年の節目にあたります。
本展は160件を超える作品と資料を集め、あらためて漆匠長寛の功績を顕彰すると共に、彼の交友関係や和歌・俳句にもスポットをあて、彼の実像に迫る100年ぶりの展覧会となります。
MIHO MUSEUM(所在地:滋賀県甲賀市信楽町田代桃谷300、館長:熊倉功夫)は、2025年(令和7年)7月12日(土)~8月24日(日)までの期間、夏季特別展「伝説の漆匠 佐野長寛ー奇想と風雅の世界」を開催いたします。
幕末の京都漆芸界に新風を吹き込んだ伝説の漆工・佐野長寛。大正14年(1925)の遺作展以来100年ぶりの展覧会です。100年前に展示された作品も含めた162件を展観します。諸国を歴遊して学んだ技法を京風に洗練させた長寛の創意あふれる作品をお楽しみください。

佐野長寛像(部分) 西村宗三郎筆 安政3年(1856)個人蔵
画像提供:京都国立博物館
■ 開催主旨
佐野長寛は江戸時代後期の漆工で、寛政6年(1794) 京都の塗師・長濱屋治兵衛の次男として生まれました。幼くして父から漆芸を学び、高雅な作品を作るため詩歌の師を求め、儒者・数寄者を訪ねて教えを請い、七代中村宗哲など市中の漆工も訪ね熱心に学びました。
文化11年(1814)21歳で家名を継ぎますが、翌年から諸国歴遊の旅に出て紀州、吉野を始め諸国の漆器産地を歴訪しその技術を会得します。文政5年(1822)に帰京して開業すると、彼の作品はすぐに評判となり高麗の名工・張寛の再来と賞されます。彼は謙遜して「張」の弓偏を取って「長寛」と号しますが、腕には自負があり自らを「漆匠」と称しました。また、無欲で弊衣蓬髪を恥じず、常に斬新な創意を試みたと言われています。その奇抜な発想と風雅を好む作風は、幕末の京都漆芸界に新風を吹き込み大きなインパクトを与えました。安政3年(1856)63歳で歿しています。
大正14年(1925)2月、有志による長寛70回忌の法要が京都・浄宗寺で営まれ、
4月には京都・妙法院で追善の供養と共に、恩賜京都博物館(現京都国立博物館)において彼の遺作展が行われました。本年はそれからちょうど100年の節目にあたります。
本展は160件を超える作品と資料を集め、あらためて漆匠長寛の功績を顕彰すると共に、彼の交友関係や和歌・俳句にもスポットをあて、彼の実像に迫る100年ぶりの展覧会となります。